東芝の元派遣社員が語る20年の軌跡や買収について | ネタきゃっち

東芝の元派遣社員が語る20年の軌跡や買収について

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東芝は最近イギリスのCVCキャピタルパートナーズに、2兆円の買収としてニュースになっているが、その前になんで原発の失敗からも見られるようにこうした買収になるような事態の企業になってしまったのか?

実は派遣で数年間地元という事で、最近話題となっている渋沢栄一の故郷でもある深谷市で従事していました。その時に感じた東芝の体質というのをお話したいと思います。

東芝は誰でも入る事が出来た

pc

深谷東芝はもともとビデオやテレビを作っていた生産拠点でした。液晶になってからも、レグザを作っていましたが最初はノートPCや携帯電話の画面などを製造していました。

ちなみに知っている人は居るかもしれませんが、スロットマシーンでリアルボルテージというのは、東芝が7.77という画面で請け負っていた液晶パネルです。

当時一緒に社員の人とも仕事をするんですが、「昔は誰でも入れた」というのが口癖だったようです。これは裏の事情ですが、残業が結構激しい会社だったようです。

組合はあるんですが、組合は社員がやっていて工場内に組合事務所というのがあります。会社に要求する事と言えば、食堂の改善など大した要求はしていませんでした。

工場の派遣が解禁

今から20年くらい前には、私を含めて派遣社員は3人程度でした。ところがそれから半年くらいで100人以上になり、これは4勤3交替という勤務だから増えるのですが、正規は取らず派遣社員で対応するというのが当時の環境でした。

なぜ派遣社員を大量に雇って正規を採用しないのか?に関わってくるのですが、ブラウン管と液晶では正反対の仕組みなのです。

大きいものを作るのはブラウン管は簡単で逆に小さいのは難しいのです。液晶はこの真逆で、小さいのは簡単な訳です。

液晶製品は大変ゴミと静電気を嫌いまうす。その為大きな液晶画面をつくると、どうしてもゴミが混入する可能性が高くなります。それ故に難しいのです。

当時光学塗料も高く、貼り付けている偏光板大手、日東電工から供給されますが、この偏光板が結構高かったのです。しかし塗料の料金が安くなり、光学フィルムも全体的に安くなりました。

しかし価格競争が激化の為、企業努力だけでは到底吸収できません。そこで生産拠点を中国に移動する事を、当初から計画してたようです。

非常な価格競争の犠牲がある

当時液晶大手では、シャープが日本では一番の企業でした。東芝は2番手3番手。東芝も当時ブラックマトリクスという、ポリシリコン液晶を使って黒の色合いを改善する事で、他の色を鮮明にだし鮮やかな色合いを実現していました。

しかしシャープから見ると見劣りをしているのは事実でした。申しました通り、小さい携帯電話の画面は歩留まりはいいが、価格が安く薄利多売をするような商売は長くは続きません。

テレビも徐々に液晶に変わってきた丁度20~15年前。30万で販売していた価格が一気に一桁台の金額まで落ちていきました。

この急激な価格競争は、中国への生産拠点移動を早める結果になったように思います。シャープも最終的にはあのようになり、日本では液晶そのものが作れない状況になっているというのが事実だと思います。

東芝の元派遣社員の感想

以前派遣社員として働いていた私の感想は、東芝はいい面と悪い面がハッキリしていたと思います、

これから買収の話がどのような方向に向かうは、私は全くわかりませんが、以前の職場ですので良い方向に向かっていってもらえればと願います。

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